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Tez Sawaiian の独り言・・・。

3/22/2004
前回の話しの続き。
紹介して貰ったチャシ屋(シャーシは英語読みでチャシに近いので以後これで行きます)
は2軒あって一つはアメ車専門でもう一つはインポートカーをやってる、ってんで
「ここはやっぱりアメ車だよね〜」と思い、L..A の東外れにあるショップに行ってきました。
取り敢えず電話でアポ取ってお昼過ぎに到着、まずはダルメシアンの老犬に歓迎され、
ラジオから60年代の懐かしいロックが流れる工場には製作中の車が4台ありました。
早速ここのボスのボブと話を始めたのですが最初は
『人手が足りなくて困ってるんだけど外国人を雇ったことが無くて・・・。』って言われて。
でも事前に俺が作った車の写真を送ったりこのホームページ(英語版のほうね)
を見て貰っていたので、『働いてくれると助かるんだけど。』なんて話になりまして、
俺は『先ずは1週間程お仕事見せてください』って言ったら『それはかまわないよ。』
って事になりまして、ちょろちょろとお手伝い始めたのでした。

この日工場にいたのはボブの他にはジェフとザックの2人だけでした。
最初に気さくに声を掛けてくれたノッポのザック君で、彼が手を掛けていた
シボレー・ノバのハーフパイプフレームのリアエンドの4リンクのボディ側受けの
ブラケットのTIG溶接を俺がやることになりまして、まぁそこそこ上手く行ったんですよ。
こうなると俺も調子が出てきて、ちょっととっつきにくい感じのあるジェフにもささっていって
彼が手を掛けていたトップフューエルのフレームの作業の雑用を手伝ったり。
暇見て機械の清掃や床を掃いたりしてるうちにあっという間に時間が過ぎて。
そしたら4時を過ぎた頃だったたかな、ボブが電話を片手に俺の所にやってきて
『お前を雇うことに決めたから!』と言うと、なにやら早口で電話の相手とやり取りした後、
『今専門の法律家を紹介して貰ってお前を雇うのに必要な手続きを聞いてみる。』
って言って貰えたのでした。

その晩、興奮冷めやらぬ俺は早速LORENにメールしたらすぐに返事が来て
『お前なら絶対大丈夫だって信じてた。』なんてまたしても煽ててくれてさ。
こうなったらもう一軒の方はどうしよう?って今度は凄く贅沢な悩みが出てきて。
でも、これで他にも顔出すなんてボブに悪いよね?ってまたメールしたんだ。
そしたら、『そうだね、お前の言う通りだよ。』って殆んどチャット状態で返事してくれて。
で、次の日ボブに 『帰国までの2週間手伝わせてください。』って言いまして、
ボブは『それまでに必要な手続き調べるから、俺はお前を手放さないからな。』
なんて言ってもらえて、もう、涙が出るほど嬉しかったすね。

40近くにもなって何やってんの、って人もいますが俺的には40迄にはアメリカに移住したい!
って気持ちの方が強いです、実際はもう少し掛かりそうなんだけど。
ちゃっちゃと仕事してよねぇ〜、U.S. Department of Labor (合衆国労働局)。(笑)



11/29/2003
2002年の10〜11月のアメリカ旅行から振り返ってみます。
この年はNHRAのインポートファイナルを観に行ったんだよね。
RX−3で出場してたメキシカン・アメリカンのレネ達と仲良くなってレネのお店、
L..Aはサウス・パサデナのマフラー屋さんにまで押し掛けて昼飯までゴチになり
RX-3のエンジンをバラシたやつとか足回り、その他隅々まで見せて貰って来ました。
NHRAの唯一公認のフランク・ハウリー・ドラッグレーシングスクールで働く
日本人のYUTAさんにいろいろ案内してもらえたお陰で
普段見れないところや会えない人達とも話できました。

そうそう、ジョージ・クリントンのライブも2回観れたし充実した旅行だったな。

ファモソ レース ウェイで行われたグッドガイズのフューエル&ガス ファイナルスの
レースでは1年ぶりの再会になるドラッグレーサーのローレンにも再会できました。
彼とは2001年の同じイベントで独りでウロウロしていたところを呼び止めてくれて
『写真とってやるから俺のマシンに乗ってみな』って言われて
彼のマシンのコックピットに押し込められて俺のデジカメで写真撮ってくれたのでした。
その写真はこちら!(笑)


で、日本帰ってきて『ヤッパ、アメリカに住みたい!レースしたい!』って
強く思うようになってそのローレンにメールしたんだよね、
『仕事ないかなぁ?』って。(爆笑)そしたらなんと返事が来てさ!
『お前ならシャーシ・ビルダー(車体製作者)としてやっていける!』って、嬉しかったなぁ。
その数日後『NYヤンキースの車を作った日系のデイヴ・ウエハラに聞いた』、
って言ってロスアンジェレスにある2軒のシャーシ屋さん紹介してくれたんだよ!
そこまでして貰ったら行かない訳にはいかないじゃん。

で、2003年3月のグッドガイズ・マーチミートでローレンに会ってからL..Aに戻って、
紹介してくれたショップに連絡入れて面接しに行ったらその日のうちに
『お前を雇いたい』って言って貰えて、その場で弁護士に電話入れてくれて
ビザ・スポンサーの手続き取ってくれたのでした。

ことのあまりの展開の速さに俺が1番ビビリましたよ。
まぁ、雇って頂いた弁護士の話によると外国人労働許可の申請があって
それを獲得後ビザ申請になる、とかで実際グリーンカードを手に出来るのは
3年以上掛かるってな話なんですよ、労働ビザ(Hビザ)では入れないらしいです。
つまり日本にはシャーシ製作会社も無ければその専門学位も無いっつー事だそうです。

さて、これ以降はまた次回ってことで。
ではまた!

9/28/2002
Hello everyone howz going ?! 「みんな元気」?(注1)
tezは元気なんだか凹んでんだか、どっちも交互にやってきて訳わかんないです。
さてさて、前回ここで言ったとおり10/21より3週間ほどアメリカに行ってきます。
今回は3週連続ドラッグレース観戦&自分達のレースの打ち合わせ?つかどうなんだろ。
ホントに俺に出来る事なんてあるのかな?なんて柄にも無くちょっとビビる。(笑)
まぁ、願っても無い大チャンスなんで目一杯やろうと気合だけは充分なおいらです。

さて、同じく前回話したito君、遂に帰ってきました。(笑)
今回は友人の結婚式出席の為ハワイに行き、そっから本土はナッシュビルへ。
で、何処でどう間違ったかベルギーはブリュッセルに飛び
さらにはイタリアのシシリーまで足を伸ばして来たそうな。
そしてまたナッシュビルに戻って日本に帰ってきたら2ヶ月なんて一瞬だよな。
”ぶらりスト”の面目躍如ってところですね。
彼とアメリカの話をするとどんどん夢が膨らんできちゃうんだよね。

同級生の女の子、いや「子」じゃねーよな、35なんだし。(爆)
の、「みちるさん」が七夕に結婚しちゃいました、またしても先を越された俺。
つか、彼女は残り少ない独身仲間であったし、(迷惑な話か)
ずっと音沙汰無くても会ったとたんに本音で話せる数少ない友人です。
ちょっと口惜しいような、すっげー嬉しいような。(笑) うん、やっぱ嬉しいな。
みちる、ホントにおめでとう!幸せになってね、たまには tel くれよ!

先日、地元の中心部、札幌の顔とも言うべき大通り公園のテレビ塔のお色直しの
工事現場で足場を組む為の鉄パイプを落としてしまい下にいた作業員を直撃。
その作業員は亡くなってしまいました。
こういう話を聞くと、亡くなった本人の事は勿論、その家族、
また加害者となった人の事も考えるとやりきれない思いで一杯になってしまいます。
こんな時一番に思い出されるのはやっぱりtezの同級生のT君。
彼が札幌を脱出してから15年余りが経ちましたが今でも彼の事を夢に見ます。
otoさんの話によると今は彼も結婚して幸せな家庭を持っているようですが
たとえどんなに幸せになったとしても彼が幼い頃に見た悪夢は
決して拭い去る事なんて出来るものでは無いだろうな、と思うわけです。
こんな所でこんな事を公表するなんて彼は怒るだろうな・・・。
otoさんも許してはくれないかもしれない。
ただ「世の中にはもっと辛い現実を克服している人もいるんだよ」って言いたかっただけ。
こんな話があの事件の当事者にとって何の慰めになるわけでもなく、
またそんなつもりも俺には無いです。
ただ、どんな苦境の中でも必ず光はあるって事を忘れて欲しくない。
それをここに来てくれたみんなに言いたかっただけです。
そして誰より俺自身と俺の家族に言いたいことなのです。

なんか、やっぱし柄じゃ無いっすかねぇ・・・。

あ、ロナウド遂にレアルマドリーに移籍しちゃいましたね、なんかしらけたな。
代わりに、と言っちゃ失礼ですがクレスポがインテルに!
彼はやってくれるでしょう!バティ以外なら誰とでも組めるし?(笑)
今年のCLはイタリア勢の復活が楽しみですね。
って、分かる人ここにいるかな・・・。(苦笑)

注1:「みんな元気」
たしかイタリア映画、泣けるよ。 check this out !!

9/3/2002
・・・・、またもや2ヶ月も過ぎてしまいましたか。
新しいネタも無いので更新もされていませんし、したと思えば人の車のことばかり。(笑)
笑い事じゃないのかもしれませんが依然私のレース活動は止まったままです。
がしかし米在住の Y氏企画によるレース計画が着々と進行中であります。
詳しいことはまだ発表出来ないのですが、FD型のRX-7によるドラッグレースカーを製作中。
今回は本州のビックネーム”Kさん”とのコラボレーション!って、流行言葉ですねぇ。(笑)
まぁ、相方があまりにスゴイ方なのでエンジン含めて殆んどをお任せです。
今回の俺の仕事はトランスミッション関係だけでしょう、ストックボディって事もありますから。
これをステップにいずれはフルパイプのプロクラス参戦!俺の夢であります。
その打ち合わせ為、Kさんは今月9日にロスアンゼルスに飛びます。
俺も同行したかったのですが、とてもここじゃ言えない大人の事情により中止。(笑)
10月以降に自分の旅行も兼ねてゆっくり行って来たいと思います。

さてさて、アメリカと言えば現在、友人のito君がディープサウス、テネシー州の
ナッシュビルに行ったまま未だに帰って来ません。
先日、久方ぶりにメールがあって9/10に帰るとありましたが
通称”ぶらりスト”と呼ばれる彼の事、誰も信じてはいない様であります。
ま、無事であればオッケー、「強制送還されるまで居なさい」ってところです。

旅行と言えばこれまた別の友人である Jがタイ、バンコクに渡って早3ヶ月。
カンボジアやらベトナムとあちこち流れ流れて現在ミャンマーにいるらしい。
「いずれ何処かで落ち合おう」と約束し「バンコクに戻ったらTELしろよ」
とは言っておいたのだがどうなることやら・・・。
出来ればバンコクからインドネシアはスマトラに行って後、バリでゆっくりして
できれば独立(主権回復)後1年が経過した東ティモールにも行ってみたいですね。

↓、前回の「サハリン行きキャンセル」の後日談追加、見てね。

7/9/2002
ワールドカップが終わって10日が経ちました、早いねー。
決勝は思った通りの展開で俺的にはもひとつ盛り上がりに欠けたかな、と・・・。
それでもブラジルは「らしさ」を出しての優勝だったと思う、
試合を重ねるほどに「チーム」になっていったもんな。

さて、tezは7日の日曜日に倶知安という所にあるサーキットで行われたクラシックカーレース
でShinさんが製作したアルファロメオのドライバ−として出走してきました。
結果はコースアウトして土手に激突しリタイヤ、廃車にしてしまいました。
車のオーナーのMさんとShinさんとで寝る間も削って作り上げた車を一瞬でスクラップに。
大雨で最悪のコンディションだったとはいえ慎重さに欠ける俺のミスによる事故でした。
この車についてはこれからもっと紹介して行こうと思ってたのに
自分の手でお釈迦にしてしまうとは・・・。
Mさんは「レーシングカーがレースで潰れたんだから本望だよ」の一言。
「すぐまた新しいアルファを作るからまた手伝ってね」と逆に慰められました。
近日中にこれから始めるアルファのプロジェクトをニューコンテンツとして、
更に俺が潰した車の写真も一緒に紹介したいと思います。
Mさん、本当にすみませんでした。
Shinさんをはじめ、この日のチームのみんなにも大変迷惑かけてしまいました。
この場を借りて再度お詫びしたいと思います、ごめんねみんな。

前回「8月にヨットでサハリン行く事になりそう」と書きましたが
諸般の都合によりキャンセルしました。
「北海道サハリン友好姉妹都市代表者会議」にあわせての文化交流ってやつで
北海道知事やサハリン州行政府の偉い人とかとの夕食会なんかも企画されてるそうで
非常に興味はあったんですけどね、残念ですがまたの機会ってことで。

後日談:
出発も目前に迫ったある日、先輩がいつもの様に豪快に笑いながら話しかけてきた。
「tez!うちのヨットのエンジンぶっ壊れちゃたよ、お前止めてて良かったよ」だって。
ははは(汗)、しかし彼はいつ見ても日本人離れした顔だ。
こんなに黒い日本人は”松崎し○る”と若い頃のウチの親父以外に俺は知らない。
結局、先輩も諦めてキャンセルしたようだ、つか俺の目には彼もホッとしたように見えた。

そんな俺達には関係なく「北海道サハリン友好姉妹都市代表者会議」は行われる訳で
その後、他のヨットの連中は予定どうり出航したらしいのですが天候が荒れに荒れて
海は大時化、予定の倍の日数が掛かる大変な航海だったそうです。
俺達が乗る予定だったヨットのオーナーは別の船に乗って参加したらしいのだが
なんと海に叩き落され7針だか縫う大怪我をしたそうな。
マジ、止めて良かったと思いましたね。
先輩、今度はもそっと安全そうなやつ誘ってください。
できれば北に向かうのじゃなく南に向かう船で。(笑)

おしまい。


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